理事長:沿革を語る

城北埼玉学園理事長
近藤 文彦
江戸時代、日本には数多くの城があり、城下町を有する城は200を超えていました。城を中心とした城下町が数多くあるという事は、地名として「城北」も数多くあるということになります。そして、「城北」が校名に含まれる学校も数多くあります。しかし、関東の私立に限定すれば板橋区にある「城北中学校・高等学校」と、川越市にある本校を合わせた2校だと思います。そして両校共に、宮城(皇居)あるいは川越城の北には位置していません。「城北」は城の北に位置しているからではなく、明治31年より深井鑑一郎先生が校長を務められた「城北中学校(旧制)※1」にその教育の起源があるからです。 本校の創立者である近藤薫明は深井先生の下で薫陶を受けました。そして、「城北教育」を埼玉県で実践する為に、近藤正己と共に本校を創立しました。
「城北教育」を端的に表せば「文武両道」です。健康な体はバランスの良い食事によってもたらされます。健全な心はバランスの良い生活によってもたらされます。純粋な進学校である本校に在籍する生徒諸君は、全員が自分の将来の希望に繋がる大学に進学する事を目標としています。本校も授業あるいは講習会等で、生徒が希望する大学に合格できるよう支援しています。しかし、それだけでは中・高という多感な時期には偏りが生じます。 春と秋の県大には必ずいくつかのクラブが出場するなど、本校のクラブ活動は充実しています。生徒諸君がクラブ活動等に参加し、充実した学園生活を思い出として、希望する大学に進学できるよう支援していくのが「城北教育」です。
※1 住所は千代田区飯田橋、宮城(皇居)の北に位置していた。
沿革
昭和54年 6月 | 城北学園理事長兼校長近藤薫明、城北中学・高等学校と同一の建学精神を持つ高校を埼玉県川越市に建設する計画を公表する |
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昭和54年11月 | 川越市農業委員会及び関係各省庁に農地転用許可を申請する この日(11月11日)を本校開校記念日と定める |
昭和54年12月 | 本校の正式校名を「城北埼玉高等学校」と定める |
昭和55年 4月 | 第1回入学式及び開校式を川越市市民会館にて挙行1期生267名 高等学校長 近藤正己就任 |
昭和55年 9月 | 校舎1号館および第1グラウンド、バレーボールコート、テニスコート等完成 |
昭和55年11月 | 校舎2号館完成 学校法人城北埼玉学園として独立 理事長 近藤薫明就任 |
昭和56年 3月 | 体育館完成 |
昭和57年 1月 | 本館管理棟完成 |
昭和57年11月 | 武道館完成 校舎完成記念式典を挙行 |
昭和60年 7月 | 城北埼玉学園生徒寮「白樺荘」(群馬県猿ヶ京温泉)完成 |
昭和61年 3月 | 室内温水プール及び第2グラウンド(荒川河川敷野球場)完成 |
昭和62年 4月 | 校舎3号館完成 |
昭和63年 8月 | 米国・ハワイ島所在・ハワイ プレパラトリー アカデミー(HPA)と姉妹校提携を結ぶ |
平成元年 4月 | コンピュータ利用に関する研究指定校(文部省)に委嘱される |
平成 2年10月 | 創立10周年記念式典挙行 |
平成 4年 8月 | 全館冷暖房施設完成 |
平成 4年12月 | 理事長 近藤正己就任 学園長 近藤薫明就任 |
平成 6年 9月 | ドーム型食堂完成 |
平成 7年 9月 | 創立10周年記念事業(パソコン室・理科演示実験室・進学資料室等)竣工 |
平成11年12月 | 理事長 近藤文彦就任 |
平成12年 4月 | 学校長 磯部徳彦就任 |
平成13年 7月 | 埼玉県知事より城北埼玉中学校の設置計画の承認(通知)を受ける |
平成14年 3月 | 近藤記念ホール竣工・テニスコート2面増設 |
平成14年 4月 | 城北埼玉中学校開校 第1期生181名入学 中学・高等学校長 近藤文彦就任 |
平成15年 3月 | 第3グラウンド拡張工事完成 |
平成16年 4月 | 文化・体育委員会新部室完成 |
平成23年 4月 | 中学・高等学校長 森泉秀雄就任 |
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